身も心もボロボロになってて草

体は正直だ。不調が如実に現れる。

単なる肌荒れだけならまだしも、水や石鹸が肌に染みる体験なんぞ10代の頃の私は想像出来ただろうか。今まで肌が強いのが自慢で、合わない化粧水なんて出会ったことは無いし、海外の化粧品で肌荒れしましたなんてこともなかったのに、皮膚科から処方された医薬品が肌に染みてとてつもなく痛い。顔を洗うのが嫌になるほど。

 

まあこういう体験も人の痛みがわかるいい機会をだと思えばいいのだろう。

 

なんて人の体は正直で繊細なんだろうと感じる一方で、ストレスなんかに過剰に反応しないでほしいと思ったり、外部環境を過剰にマイナス因子として捉えてしまう自分の考え方や価値観が嫌になる。そしてそれがストレスになるという無限ループにはまっている気がする。

 

ただ、正直に言うと今はとにかく疲れた。やる事が多すぎて優先順位を付けるのも時間を見つけるのも面倒くさくなる。仕事は今すぐ辞めたい、ともう何ヶ月思ってるんだろう。辞める、と決断したのは1月末だが、働きたくない、職務内容に対しての嫌悪感があったのは思えばずっとかもしれない。もちろん楽しいと思える瞬間もない訳ではなかったし、営業の仕事の楽しさや意義を理解出来たのも今の会社で働いてからなので、全く意味がなかったわけではない。

ただ、私かずっとやりたかった仕事はは入社した時からデザイナーやマーケターといった職種であって、営業ではない。ただ、いつかは、結果を出せばそういう部署に移動ができるだろうと思っていたけれど、そんなことはなく、むしろ縦割りの仕事分担は進む一方で、モチベーションもそれに比例して下がっていった。

 

そこから更に追い打ちをかけるように経営陣に対する不信感や、現場を無視した経営方針に失望し、やる気は完全になくなった。ついでに左遷された。

 

左遷され、仕事はやりたい事ではないので大変苦しく、かと言って自分の目標に近づいてる気はしないし、目標としていた事に対して十分に達成出来ていない自分が、なんだか可哀想で、哀れに思う。その感情は、アフリカの子供たちの映像を見ている時に近いもので、自分事なのに対岸の火事のように思える。映画で自分の姿を見ているような気分。『あーなんかこんなに肌も荒れて気持ちも荒んでるこの子可哀想だなー』と、心の中で思う。この子って自分のことなのに。変なの。

 

昔聞いたことがあるのが、虐待されている子供が自分が虐待されているという目の前のストレスから逃れるために自分を俯瞰しているような感覚に陥る、というか意図的に行うような時があるらしい。

調べたらそれは離人感や解離性障害と言うらしい。

 

辞めたいのは上司との関係もあるし、綺麗さっぱり仕事だけの関係でいたいのに、よく分からない自己啓発のための時間を割いたり、主体性を重んじるような議題をチョイスしたりと、やめて欲しいことのオンパレードである。

 

ただ、時々顔を出す、『今辞めたら次の仕事も続かないぞ』とか『社会人歴浅いのに転職回数多いのやばくない〜』などとボサいている脳内のピヨピヨ共も邪魔してくる。

自分ができること変えられることなんて限られてる、ってわかってるよ!でも、それでも、何処をどう変えたらいいか分かんないんだよ。そして、変えてもいいかもわかんない。